岡山地方裁判所 平成8年(ワ)1086号 判決 2000年10月25日
原告
亡田代ヒナ訴訟承継人
坂本末子
原告
亡田代ヒナ訴訟承継人
田代光夫
右両名訴訟代理人弁護士
菊池捷男
同
浅野律子
同
田村尚史
被告
労働福祉事業団
右代表者理事長
若林之矩
右訴訟代理人弁護士
森脇正
右訴訟復代理人弁護士
佐々木基彰
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 原告らの請求の趣旨
一 被告は、原告坂本末子に対し、一六六六万六六六七円及びこれに対する平成七年五月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告田代光夫に対し、三三三万三三三三円及びこれに対する平成七年五月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は、被告の設置運営する岡山労災病院において、いわゆる神経ブロック治療を受け、その直後に両下肢麻痺等の症状を生じた患者(訴訟承継前の原告)の相続人である原告らが、右患者に対する治療につき、同病院の担当医師らに感染防止や治療手技上の過失又は同症状を回避する手術を受けるか否かの判断に際して同医師らが説明義務を尽くさなかった過失があったとして、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償(附帯請求は、右症状が出た日の翌日である平成七年五月九日から支払済みまで民法所定五分の割合による遅延損害金)を求めた事案である。
二 争いのない事実
1 当事者
(一) 原告坂本末子(以下「原告末子」という。)及び同田代光夫(以下「原告光夫」という。)は、いずれも亡田代ヒナ(大正七年五月一四日生。訴訟承継前の原告。以下「亡ヒナ」という。)の子である。
(二) 被告は、労働福祉事業を行う特殊法人であり、岡山労災病院(以下「被告病院」という。)を設置運営する者である。
2 被告病院で入院治療を受けるまでの経緯等
(一) 亡ヒナは、平成六年二月ころ、進行期の子宮癌で他の病院から被告病院に転院して治療を受け、その後も他の疾病の際にも、被告病院に入院又は通院して治療を受けていた。
(二) 亡ヒナは、平成七年三月ころ(以下の日付は特に断らない限りすべて平成七年である。)、右腹部に帯状庖疹を患い、被告病院の皮膚科でその治療を受けるようになったが、その後、右患部に帯状庖疹後神経痛を発症し、不眠や食欲不振を伴う強い痛みが生じたことから、同皮膚科の担当医師の紹介で、四月二六日、被告病院の麻酔科を受診した。
同麻酔科の勤務医である倉迫直子医師「以下「倉迫医師」という。)は、同日、亡ヒナに対して一回法によるいわゆる神経ブロック治療を行ったところ、同女の痛みが軽減する効果が見られた。そこで、亡ヒナは、被告病院に入院の上、持続法による神経ブロック治療(以下、前記の一回法による治療と併せて「本件治療」という。)を受けることにし、倉迫医師もこれを了承した。
なお、このころまでは、亡ヒナの両下肢には日常生活や通常の歩行に大きな支障を及ぼす障害は見られなかった。
3 入院治療の経過及び障害の発生等
(一) 亡ヒナは、五月二日、被告病院に入院し、倉迫医師において、亡ヒナの背部に硬膜外針を穿刺してカテーテルを挿入し、持続法による神経ブロック治療を開始したが、同月七日、倉迫医師が診察した際、感染の危険があると認められたため、同医師は本件治療を中止し、カテーテルを抜去した。
(二) 同月八日午後五時三〇分ころから、亡ヒナの両下肢に次第に力が入らなくなるという症状が見られ、同日午後八時すぎころになると、全く力が入らない状態になるなど亡ヒナの容態が急変し、同日午後一〇時ころ、被告病院の整形外科の勤務医で脊椎外科が専門の時岡孝光医師(以下「時岡医師」という。)が亡ヒナを診察し、脊椎硬膜背側の腫瘤状のものによる胸髄の圧迫が原因の対麻痺であるとの所見を得た。
(三) 原告末子を含む亡ヒナの子三名は、被告病院から連絡を受けて急きょ来院し、同日午後一〇時すぎころから、時岡医師及び倉迫医師から、約一時間にわたって亡ヒナの容態や麻痺を回復するには手術の必要があること、その手術の危険性等について説明を受けた。翌日である同月九日午後四時ころ、原告末子らは被告病院を訪れ、同病院の麻酔科の責任者(部長)である香曽我部義則医師(以下「香曽我部医師」という。)及び倉迫医師から前日とほぼ同様の説明を受け、その際、原告末子らは、手術をしないよう右医師らに申し入れた。
その結果、亡ヒナに対しては、手術は実施されず、対処療法的な治療がなされた。
4 その後の経過等
(一) 亡ヒナは重篤な状態は脱したものの、両下肢麻痺による両下肢機能全廃の障害を負い、車椅子で生活するようになり、足の付け根から下の部分の知覚はなく、排泄も自力ではできない状態になり、これらの両下肢の機能全廃、鼠蹊部以下の感覚脱失、排尿・排便障害の症状は、一一月には固定した。
(二) 亡ヒナは、平成一一年六月二六日死亡し、いずれもその子である原告両名ら六名が同女を相続した。そのうち、原告両名を除く四名がそれぞれの相続分を原告末子に譲渡し、これにより、亡ヒナの被告に対する損害賠償請求権は、原告末子が六分の五、同光夫が六分の一を取得することになった。
三 争点
1 亡ヒナの両下肢麻痺の原因及びその発生についての被告病院の医師らの過失の有無
2 椎弓切除術等を実施すべきかどうかの判断に際し、被告病院の医師らから患者である亡ヒナ本人及びその家族である原告末子らに適切で十分な説明がなされたか否か。
3 亡ヒナの損害
四 争点に関する当事者の主張
1 亡ヒナの両下肢麻痺の原因とこれに対する被告病院の医師らの過失の有無(争点1)
(原告らの主張)
(一) 亡ヒナの両下肢麻痺の原因は、硬膜外膿瘍による脊髄圧迫であり、右硬膜外膿瘍は、本件治療中の感染によるものである。
(1) 本件では、亡ヒナの両下肢麻痺の発生前に、亡ヒナが発熱していること、カテーテルの先端部分からMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ状球菌)が検出されていること、麻痺発生前に生じた帯状疱疹痛と異なる痛みの様相及び炎症所見から、感染による膿瘍の発生が極めて強く疑われる。
(2) 神経ブロック治療に際しては、針の穿刺、薬剤注入、ポンプの薬剤交換、カテーテル挿入部の滅菌処置の各場面において、細菌感染の危険性があり、その感染による合併症の結果は麻痺等極めて重篤である。
本件では、五月八日午後六時ころに亡ヒナに下肢麻痺の症状が発生したことからすると、①四月二六日に一回法による試験的な神経ブロック治療を行った時点、②五月二日に亡ヒナが入院し、神経ブロック治療を開始した時点、③同月六日にSFS(携帯型ディスポーザブル注入ポンプ)を交換しキシロカインを補充した時点のいずれかの時期に細菌に感染した可能性がある。
そして、神経ブロック治療を行う医師は、これらの危険について予見することができたのであるから、治療に際して徹底した感染防止措置を施す義務がある。にもかかわらず、被告病院の医師らには、本件治療を行う際、感染を防ぐ充分な措置を施さなかった過失がある。
(二) あるいは、亡ヒナの両下肢麻痺の原因は、硬膜外血腫によるものであると考える余地もあるが、そうであったとしても、倉迫医師には、亡ヒナに対して神経ブロック治療を行う際、不適切な穿刺部位と深度で針を穿刺し、脊髄付近を損傷した過失がある。
神経ブロック治療では、硬膜外腔に針を穿刺する際、針先が深く入りすぎて、硬膜又はこれに密着するクモ膜を損傷する危険性があり、その損傷を見過ごして麻酔液が注入されると、麻痺や呼吸停止等、極めて危険な状態が発生する。そして、神経ブロック治療を行う者は、これらの危険について予見することができたのであるから、そのような危険が生じないよう穿刺部位と深度を定めて治療する義務があるにもかかわらず、倉迫医師にはこれを怠った過失がある。
(被告の主張)
(一) 亡ヒナの麻痺原因は、臨床経過、麻痺の進行、程度を考えると、突発性の脊髄硬膜外血腫が考えられる。そしてこれを予知するのは不可能である。
(二)(1) ところで、原告らは、亡ヒナの麻痺原因を硬膜外膿瘍であると主張するが、硬膜外膿瘍は、一般的に激しい背部痛、圧痛、注入時痛、神経根症状が必発するが、本件では、硬膜外膿瘍を想定させるような激しい背部痛や圧痛、注入時痛、神経根症状を全く欠いており、本件治療を中止してカテーテルを抜去した時点においても、筋力低下や知覚低下等の神経症状は発現しておらず硬膜外に膿瘍が成立していたとは考えにくい。
また、カテーテル挿入後、医師により毎日挿入部の経過観察がなされているが、その際にも分泌物は認められていない。
培養結果からMRSAが検出されているが、これはカテーテル抜去時の皮膚付着部の膿の細菌培養結果であり、硬膜外腔にMRSAが存在していたことの証左にはならない。
(2) 神経ブロック治療の過程では細菌感染の危険があり、感染による合併症の結果が重篤であることは原告らの指摘のとおりであるが、感染防止のための措置として、一般に、使い捨て用完全滅菌キットの使用、創部と術者の滅菌及びカテーテル挿入後の頻度の消毒とガーゼ交換が必要とされており、現場でもそのような指定が行われている。本件においても、倉迫医師は白衣着用の上、MRSAにも消毒効果のあるクロルセキシジン製剤にて穿孔部を中心に広範囲を綿棒で消毒後、ディスポーザブル(使い捨て用。以下同じ)滅菌硬膜外キット及びディスポーザブル滅菌ゴム手袋を使用してカテーテルを挿入し、穿刺部にはイソジンゲル(ポピドンヨード剤)をつけて処置している。カテーテル挿入後も、通常であれば一日ないし二日おきのガーゼ交換で済むところ、かぶれやすいという亡ヒナの訴えを酌んで、毎日、医師による消毒及びガーゼ交換を施行している。
倉迫医師らは細菌感染を防ぐため出来うる限りの十分な措置をしたのであって、同医師らに過失はない。
(三) さらに、原告らは、神経ブロック治療を行った際の倉迫医師の過失が原因で硬膜外血腫が発生したと主張するが、確かに、亡ヒナの麻痺原因は、硬膜外血腫であると考えられるけれども、その原因は、前記(一)のとおり、突発性の脊髄硬膜外血腫である。
すなわち、亡ヒナの疾患部位は左第五胸椎であるが、倉迫医師は第八・九胸椎からカテーテルを穿刺し、上方に向けて留置して薬液を注入・浸透させたところ、帯状庖疹後神経痛に対して痛みの減弱効果が出ており、これはカテーテルの穿刺部位が適切であったことを示すものである。
また、五月六日及び同月七日の亡ヒナの左胸の痛みの訴えに対し、田中医師がカテーテルの深度を浅くしたところ、右痛みがなくなったことは、亡ヒナの痛みがカテーテルの刺激による物理的痛みであり、同医師の処置により適切な深度に調整されたことを確認するものである。
仮に、不適切な部位又は深度にカテーテルを挿入していたとすれば、薬液を注入後、即座に麻痺、呼吸停止を含む呼吸障害、血圧低下等の症状が出現するはずであるが、そのような合併症は出ていない。
したがって、神経ブロック治療の際に倉迫医師が選択した硬膜外針の穿刺部位及び深度は適切であり、カテーテルによる硬膜外血腫の発症は考えられない。
2 説明義務違反の有無(争点2)
(原告らの主張)
被告病院の医師らは亡ヒナの麻痺を回避するための手術を実施でき、かつ、実施すべき場合であったのに、患者及びその家族の同意を得ることができないような説明をして、治療を選択する機会を失わせ、亡ヒナの麻痺を回避できなかった過失がある。具体的には次のとおりである。
(一) 麻痺原因については、前記1の(原告らの主張)(一)のとおり、ほぼ硬膜外膿瘍であるとの診断が可能であった。本件治療による硬膜外血腫や突発性脊髄硬膜外血腫の可能性は、全く否定できないものの低く、子宮癌の転移による腫瘍の可能性も否定されていた。にもかかわらず、被告病院の医師らは、麻痺原因の正確な理解を誤り、癌転移や血腫等の場合の危険性や、ペースメーカーの使用で回避しうる手術の際の心停止の危険性等、危険性の要素として考慮すること、あるいは重要視することが不要なものまで説明し(仮に、麻痺原因が血腫であるとしても、手術によって麻痺が回復しない可能性はあっても、生命の危険まではなかった。)、患者側の不安を増大させ、その判断を誤導する不適切な説明をした。
また、被告病院側の説明は、根治的療法である椎弓切除術を実施しないことを前提とした内容に終始しており、このような説明では、患者及びその家族が手術を行うことを選択するという気持ちには通常なれない。
結局、本件では、被告病院の医師らにより、患者側が治療法の選択権を充分に行使できるだけの情報提供はなされていないか、あるいは治療法の選択権を行使する妨げになるような説明がなされたというべきである。
(二)(1) さらに、手術に関する説明は外科手術をする整形外科医又は脳神経外科医を中心になされるべきであった。本件では整形外科医の時岡医師による説明もなされているが、説明のイニシアチブが香曽我部医師ら麻酔科医にあり、亡ヒナ及びその家族の判断に、必ずしも適切な情報を与えたとは言い難い。
(2) 加えて、本件では、患者である亡ヒナに対して、手術の選択の機会が全く与えられておらず、被告病院の医師らには、肝心の患者の意向を尊重しようという姿勢が全く見られない。癌転移の可能性のあることが、癌告知を受けていない患者本人への説明を不要とする理由にはならない。
(被告の主張)
本件では、担当医及び専門医において、原告末子ら複数の家族に、二日にわたり、手術の方法、可能性、合併症等について詳しく説明し、家族からの質問も受け、家族が話合う時間も、考える時間も充分にとったもので、被告病院の医師らは説明義務を尽くしている。具体的には次のとおりである。
(一) 亡ヒナの両下肢麻痺症状は、脊髄の圧迫病変のみに起因するか否かはにわかに断定し難く、脊椎に虚血性の障害が加わってのことと考えられる。また、一般に、硬膜外にカテーテルを挿入した場合に最も注意を要するのが硬膜外膿瘍であることは間違いないが、本件ではそう断定することは不可能であった。CTの結果とカテーテル先端の培養のみから麻痺原因を硬膜外膿瘍と確定するのは、短絡的で誤りである。
本件では、椎弓切除術は、その原因が硬膜外膿瘍のみと断定できて初めて実施が可能となる処置である。癌転移や異常血管があれば、大出血や麻痺症状の悪化、ひいては死亡につながりかねない可能性もあり、不整脈、循環動態の不安定な状態、子宮癌の既往症、高齢者であることを加味すれば、椎弓切除術のような大きな侵襲を加えるには、否定的にならざるを得なかった。
被告病院の医師らはこのような理解の上、麻痺の原因は何であれ椎弓切除術の医学的適応があること、すなわち手術の必要性があることを前提に、手術の難易度、危険性を説明したものである。
また、手術しないとの予断をもって、医師らが家族に結論を押しつけた事実は全くない。被告病院の医師らの説明に際しては、「処置については非常に迷われると考えますが」と家族の立場からも話をし、「もし自分の親ならば、……」と言う例を出して説明が加えられたのも事実であるが、一定の目的に沿うよう亡ヒナの家族らを誘導し、「積極的処置の断念」を決断させたというようなことはなく、家族の同意が得られれば緊急手術を施行するだけの準備はあった。
被告の説明内容は、患者及びその家族の自己決定権行使についての適切な判断材料として十分に提供されており、原告末子らは、完全麻痺になることを納得の上で、手術を施行しないとの合意に至ったものである。
(二)(1) 本件では、専門医である時岡医師も交えて十分な説明をしている。
(2) 被告病院の医師らは、癌告知と合わせて麻痺残存という事実を受け入れるか否かを患者本人である亡ヒナに告げる意思を、原告末子ら患者家族に伝えたところ、患者に辛い思いさせたくないといった趣旨で強く反対、拒否されたのであり、患者家族は、患者本人には伝えないという明らかな選択を実行したのである。
3 亡ヒナの損害(争点3)
(原告らの主張)
本件の債務不履行又は不法行為により、亡ヒナは次のとおり合計五一七七万円の損害を被った。
①損害慰謝料 二〇〇万円
②後遺障害慰謝料 二〇〇〇万円
③将来の介護費用 二五七七万円
亡ヒナは、前記争いのない事実4(一)のとおり、両下肢の機能全廃等のまま症状固定となり、特別養護老人ホームへの入所等に月二五万円の支出を要する状態となったので、少なくとも亡ヒナの余命一一年間分の右費用から、次の式のとおり中間利息を控除すると二五七七万円となる。
〔計算式 250,000×12×8.590(11年間に対応する新ホフマン係数)=25,770,000〕
④住宅改造費等 二〇〇万円
⑤弁護士費用 二〇〇万円
(被告の主張)
否認ないし争う。
第三 争点に対する判断
一 事実経過
前記第二の二の争いのない事実に証拠(甲一、乙一ないし五八〔各枝番号を含む。〕、六〇ないし六二、証人倉迫医師、同時岡医師、同香曽我部医師、同坂手行義(以下「坂手医師」という。)、原告末子〔訴訟承継前に証人として証言したもの〕)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
1 神経ブロック治療の内容等
(一) 神経ブロック治療とは、脊髄を包む硬膜の外にある空洞部分(硬膜外腔)に、麻酔液を針又はカテーテルで注入して麻痺状態を起こし、痛みの伝達を遮断する治療法で、交感神経の血流を促進して、神経の状態の回復を促すという効果もあるとされている。同治療方法のうち、一回法(単回法、ワンショットともいう。)とは、針で薬剤を注入するもので、効果維持時間は一ないし二時間と短く、次の持続法による治療を受けるかどうかを決めるための試験的な療法としてなされることもある。持続法とは、カテーテルを硬膜外腔に留置して、持続的に麻酔液を注入するもので、薬剤はカテーテルを通じて、小型の空気圧ポンプで患部の硬膜外腔に送り込まれる。そのポンプは首から下げる等の方法で携帯できるので、治療中も日常的な動作は可能であるが、継続的な注入を必要とするので、入院治療によるのが原則である。
(二) 一般に、神経ブロック治療の手技法は、次のとおりである。
刺入する点を中心に、広く患者の背中全体のほぼ半分くらいを二回にわたって消毒薬で消毒し、滅菌布で他の部分を覆って刺入する付近のみを露出させ、まず、局所麻酔剤を注射し、続いて硬膜外針を刺入して少しずつ針を進めながら抵抗消失法で硬膜外腔を確認し、単回法ではそのまま薬液を注入し、持続法では硬膜外針を通じてカテーテルを挿入する(それゆえ、持続法に使用する硬膜外針は、一回法で使用するものより若干太いものになる。)。
さらに、持続法では、挿入されたカテーテルを滅菌テープで固定し、刺入点もゲル状の消毒剤を覆うように塗り、さらにその上からガーゼ等でテープでの固定部分全体を覆う。カテーテルの先には細菌をカットするフィルターがつけられ、その先にポンプを取り付け、持続的に薬液を注入する。
2 亡ヒナに対する神経ブロック治療
(一) 亡ヒナは、四月二六日、被告病院の麻酔科外来で診察を受け、その際、亡ヒナの主治医となった倉迫医師は、同日、亡ヒナに対して試験的に神経ブロック治療を受けることを勧め、亡ヒナがこれを承諾したことから、同日、亡ヒナに対して一回法による神経ブロック治療を行った。倉迫医師は、同治療を行うに際して、前記1(二)の一般的手技法にしたがって、消毒剤マスキンRを用いて、刺入部を中心に、背中の約二分の一の範囲を二回にわたって消毒し、さらに、刺入部を中心に直系約一〇センチメートルの円形の範囲を残して他の部分を滅菌布で覆い、刺入部の付近のみを露出させた上で、刺入部に局所麻酔剤を注射し、続いて硬膜外針を刺入して硬膜外腔に薬液を注入した。
亡ヒナは、右治療により患部の痛みが軽減してある程度の効果が見られたことから、被告病院で持続法による神経ブロック治療を受けることを決めた。
(二) 亡ヒナは、五月二日、持続法による神経ブロック治療を受けるために被告病院に入院した。
倉迫医師は、同日、亡ヒナに対する治療を開始し、亡ヒナの第八及び第九胸椎付近に局所麻酔の上で硬膜外針を刺入し、これを通じてカテーテルを挿入し、カテーテルを留置したまま固定して、同カテーテルを通じて携帯型注入ポンプによる薬液の注入を始めた。
(三) 倉迫医師は、右治療にあたって、清潔な使い捨てキットを用い、滅菌手袋を装着して、消毒剤マスキンRを用いて入念に刺入部付近を消毒した上で、第八・第九胸椎の間から身体の上方に向けて硬膜外針を穿刺し、硬膜外腔にカテーテルを挿入して留置した後、刺入点にイソジルゲル(ゲル状のポピドンヨード剤)を塗って、さらに、ガーゼ等でドレッシングした。
また、倉迫医師は、右治療の実施に先立ち、亡ヒナに対して、血腫形成の予防的検査として血液の凝固テストを行ったが、異常は認められなかった。
そして、右カテーテル挿入後は、倉迫医師を始めとする被告病院の医師らによって挿入部等の経過観察がなされ、刺入部を覆うガーゼも一日一回、日によっては二回以上交換され、薬液の補充も医師の手によってなされた。
(四) 倉迫医師は、五月四日から同月六日まで休暇をとる予定になっていたため、同月三日、注入ポンプを二日分の薬液が入る大型のものに変更するように申し送りをし、同月五日、当日の当番医がポンプを大型のものに交換した。しかし、その旨、入院診療録等に記録されなかったため、翌六日の当番医であった被告病院麻酔科副部長田中医師(以下「田中医師」という。)が不審に思い、同日、再度ポンプを新品に交換した。
3 亡ヒナの容態の急変状況等
(一) 亡ヒナにおいて、カテーテル刺入後の経過は概ね順調であり、痛みが軽減し、よく眠れるようになるなど治療の効果が見られた。
しかし、亡ヒナは、五月六日になって、田中医師に左胸部分の痛みを訴え、また、発熱もあった。田中医師は、右痛みはカテーテルの刺激痛であると考え、カテーテルを一センチメートル程抜いて、その深度を浅くしたところ、痛みがなくなった。亡ヒナは、翌七日にも田中医師に同様の訴えをし、田中医師が更にカテーテルを一センチメートル程抜き、鎮痛剤の注射を行ったところ、やはり痛みはなくなった。
同日午後八時ころ、倉迫医師が診察した際、亡ヒナは、三たび同様の症状を訴え、発熱も続いており、倉迫医師がカテーテル刺入部を点検したところ、化膿が認められたため、倉迫医師は感染の危険があると判断して本件治療を中止し、カテーテルを抜去して抗生物質を投与した。このカテーテルの先端部分は培養検査に出され、五月一一日、MRSAが検出された。
(二) 亡ヒナは、五月八日午後三時三〇分ころ、左胸の痛みを訴え、さらに、同日午後五時三〇分ころから、次第に両下肢に力が入らなくなるという症状が現れた。
亡ヒナは、同日午後六時ころに倉迫医師が診察した際、突然の腹痛、胸部苦悶感を訴え、著しい不整脈や下血も見られた。
同日午後六時三〇分ころ、被告病院の婦人科の勤務医である友国医師(亡ヒナの既往症である子宮癌の担当医)が診察し、亡ヒナの腹部症状について、子宮癌のコバルト照射による腸炎の疑いがあるとの所見を得た。
同日午後八時すぎころになると、亡ヒナの両下肢は全く力が入らない状態になり、時岡医師が亡ヒナを診察し、腱反射やバビンスキー反射等を調べた上、亡ヒナの麻痺の原因は脊椎硬膜背側の腫瘤状のものによる胸髄の圧迫であるとの所見を得た。
4 亡ヒナの麻痺原因の特定、麻痺の回避の可能性等
(一) 被告病院の医師らは、五月八日の時点で、亡ヒナの麻痺原因について、硬膜外膿瘍の可能性が高いが断定はできず、硬膜外血腫や癌の転移等の可能性もあると考えていた。
(二) 右の時点で、亡ヒナの麻痺の残存を回避するには、麻痺原因のいかんにかかわらず、遅くとも四八時間以内に、緊急に外科的治療(手術)を行う必要があった。
右の外科的治療の方法としては、脊椎椎弓を切除して腫瘤状のものによる圧追を取り除く椎弓切除術が考えられたが、これは脊椎という人体の枢要部への侵襲を伴い、全身麻酔を要する上、手術を腹臥位で行わねばならないため、麻痺や心停止の際の心臓マッサージも仰臥位の場合に比して困難を生ずるものであり、特に本件の場合、亡ヒナが高齢者(当時七六歳)であり、癌の既往や不整脈も見られること、緊急に手術を実施しなければならず、十分な事前の検査等を実施する時間的余裕もなく、麻痺原因も完全に特定されておらず、もし血腫であれば大量の出血を生じる可能性もあったこと、亡ヒナが帯状疱疹を発症するなど免疫力が相当落ちていると思われたこと、腫瘤状の圧迫物の位置や切除すべき椎弓の範囲も不明確で、広範囲にわたって切開する必要があったこと等から、手術をすること自体に相当危険性があって、術後の管理も慎重に行わねばならず、合併症を生ずる可能性もある一方で、手術が成功して術後の経過も順調に推移したとしても、亡ヒナの麻痺が回復するかどうかは不確実なものであった。
また、腫瘤状のものにカテーテルを挿入して圧迫物を吸引・洗浄するという穿針除去も考えられたが、この方法は、当時いくつかの症例が報告されている程度で一般的に普及している治療法ではなく、脊椎、とりわけ上・中位の胸椎付近での実施は手技的にも困難で、髄膜炎や敗血症を併発してさらに重篤な状態に陥る危険性もあるものであった。
5 被告病院の医師らがした説明の内容等
(一) いずれも亡ヒナの子である原告末子、田代町子及び木村京子の三名は、被告病院から容態の急変の連絡を受けて来院し、五月八日午後一〇時すぎころから、時岡医師及び倉迫医師から一時間程度、次のような説明を受けた。
「現在両下肢麻痺となっています。その原因は膿瘍かあるいは腫瘍の硬膜外への転移などが考えられます。子宮ガンの末期なので何があるか分かりません。原因が何であれ、緊急手術しないと救えません。一二時間から四八時間以内に、早ければ早い程良い。ただし、手術してもよくなる保証はどこにもありません。診断をつけるためには手術をして原因をはっきりさせるのが早道です。手術は危険を伴い、大出血も予想されます。選択すべき方法としては、①生命の危険はかえりみず、とにかく下肢の運動を最優先させてこれから緊急手術をする。②本人に苦痛を与えず、抗生剤の点滴などで対症療法を行う、この場合、麻痺回復の見込みは少なく、おそらく車椅子の生活になるでしょう。本人のことを考えれば車椅子になってもいいから今は抗生物質で菌だけを殺した方がいいように思える。」
説明後、原告末子ら三名で話し合い、右医師らに対し、本人を苦しませたくないなどと回答したが、まだ少し時間があるからよく話し合うよう医師らに促され、その日は原告末子らは帰宅した。
(二) 翌五月九日、亡ヒナの容態が多少安定したので、緊急にMRI撮影を実施したところ、胸部硬膜外腔に血液が混じった占拠性病変が確認された。
原告末子ら前記三名に原告末子の夫を加えた四名は、同日の朝から再度話し合い、その結果、やはり手術はしないことに決めた。そして、右四名は、同日午後四時ころ、被告病院を訪れ、香曽我部医師及び倉迫医師と面談したが、同医師らは、右四名に対し、亡ヒナの病状やその対処法等について、次のとおり、前日とほぼ同様の説明をした。
「病状は昨夜と変わっていません。全身状態としては落ち着いてきています。色々検査した結果では膿が生じて神経を圧迫していることが考えられますが、転移による圧迫や出血等も完全には否定できません。圧迫を取らない限り麻痺は永久的となり車椅子が必要と考えられます。圧迫をとる方法としては、①外科的手術、これはリスクが大きく、成功しても術後の回復や合併症の発現等を考えると厳しいと考えます。②針で穿刺し排膿する方法は手技的には十分可能ですが、効果が十分得られるかは行ってみないとわかりません。もとにある病気が見た目元気なようでしたが、きわどい所にまできており、今後の治療は何をまず目的とするかにより方法が変わるでしょう。帯状疱疹後神経痛の痛みに対し、治療を望まれて、これがきっかけとなったように思われるかもしれませんが、もう少し検査を進めさせて下さい。硬膜外腔に限局して血液性分の混じた圧迫所見がみられます。圧迫を取ってやれば、四八時間以内に麻痺がある程度戻る可能性がありますが、五ミリ程度の腔隙しかなく、針を進めすぎれば脊髄腔に菌が混じったものがばらまかれる可能性があります。もともと、お年と免疫力の低い状態で、血管のもろさ等で予期せぬことが起こったのかもしれない。膿だとすればそこを針でついて外へ出してしまう方法により麻痺が治る可能性もあるが、戻るとはいいきれない。可能性として、五〇パーセントぐらい、髄膜炎を起こせば、二、三日で命を落とすこともある。もし膿でなく、癌の転移のものだったとすれば、悪化する可能性がある。ただし、一つ積極的になれない要素としては腰の骨の圧迫骨折があり、これも転移が考えられます。したがって、今回処置が全てうまく行って再び歩けるようになっても、その部分の骨折が進行することでまた麻痺が出現する危険性を含んでいます。」
右説明の際、原告末子からも、歩けるようになるか、処置の危険性等について質問がなされ、右医師らはこれに回答し、その上で、原告末子らは「家族話し合いの上、積極的な措置は断念することになった。」などと、手術をしないよう医師らに伝え、結果的に椎弓切除等は実施されず、対症療法的な治療がなされることになった。
(三) 右の説明は原告末子ら家族に対してのみなされ、患者である亡ヒナ本人にはなされなかった。
亡ヒナは、五月八日以前も加齢に伴って判断能力がある程度減退していたが、特に五月八日夕方ころに重篤な状態に陥ってからは、一応意識はあるもののもうろうとしており、原告末子らが見舞っても分からないような状況であった。
また、亡ヒナには同人が癌であるとの告知がなされておらず、原告末子ら家族からも医師に対し、亡ヒナには癌である事実を伝えたくないとの意思が表明されていた。
二 争点1(亡ヒナの両下肢麻痺の原因とこれに対する被告病院の医師らの過失の有無)について
1 証拠(甲二の1、乙六三、証人宮崎東洋〔以下「宮崎医師」という。〕、同坂出行義〔以下「坂出医師」という。〕)によれば、亡ヒナの両下肢麻痺の原因となった硬膜背側の腫瘤状のものは、硬膜外膿瘍を主とし、これに血液ないし血腫の混ざったものであったと認められる。
この点、麻酔科医である新井達潤医師(以下「新井医師」という。)作成の岡山労災病院鑑定書(乙五九)及び新井医師の証言中には、右腫瘤状のものが主として硬膜外血腫である旨を述べる部分がある。しかしながら、右各証拠において、新井医師も、結果的に右腫瘤状のものが膿瘍と血腫の混在するものであることを否定するものではない上、新井医師自身は、亡ヒナの診療録等の記載内容からはむしろ亡ヒナの麻痺の原因として第一次的に硬膜外膿瘍であるとの印象を持っていたもので、MRIの画像診断上、その専門医が右腫瘤状のものが血腫であると判断したことから、同判断を尊重したに過ぎず、他方、証拠(乙六三、証人坂出医師)によれば、急性期の画像診断で右腫瘤状のもののような対象が膿瘍か血腫かの鑑別については、画像診断とその後の手術の際に確認される内容との対比等を踏まえると、右鑑別は非常に困難であることが認められ、これらの点を総合すれば、新井医師の右証言等も右認定を妨げるものではない。
よって、争点2について、亡ヒナの両下肢の麻痺の原因である右腫瘤状のものが血腫であるとし、これを前提として倉迫医師に過失があったとする原告の主張は採用できない。
2 亡ヒナの麻痺原因が膿瘍であるとすれば、その発生について倉迫医師らに過失が認められるのか。
前記一1及び2で認定した事実によれば、倉迫医師は、一般的な神経ブロック治療の手技法に従い、感染防止に十分に配慮した方法で本件治療を行い、その後の経過においても、同医師や被告病院の医師らによって経過の観察やガーゼの交換等の感染防止措置がなされているものと認められる。
なお、右認定事実によれば、医師らの連絡が不十分であったために、不必要なポンプ交換がなされたことが認められるが、それが感染防止の見地から不適切な方法でなされたことを窺わせる証拠はない。
そうすると、当時の医療水準に照らし、倉迫医師や被告病院の医師らは感染防止のために必要かつ相当な措置を講じていたものと認められ、宮崎医師作成の鑑定書(甲二の1)において、「第三者から見て十分納得できる清潔操作を行っているにも関わらず、感染が生じることはあり得る」として、亡ヒナに生じた感染症が「不可抗力」によるものとされているのも右と同旨のものということができる。
よって、亡ヒナにおける前記硬膜外膿瘍の発生について、被告病院の医師らに過失があったものとは認められない。
三 争点2(説明義務違反の有無)について
1 前記一3及び4に認定した事実によれば、亡ヒナの麻痺の発生時点においては、麻痺原因の如何にかかわらず、緊急に手術をすべき必要性が認められる状況にあったのであるから、被告病院の医師らが患者本人又は家族に対し、手術の内容及びその危険性等について説明し、手術をするかどうかの判断を求める必要があったものと認められる。
本件では、五月八日夜と翌九日の二度にわたり、家族である原告末子らに対し、右認定のとおり、亡ヒナの病状、実施すべき手術の内容やその危険性、手術をした場合あるいはしなかった場合に予想される予後の経過、手術をすべきかどうかについての医師の意見等について、詳細な説明がなされているところ、その説明内容が妥当か否かにつき原告らの主張する、①麻痺原因や手術の危険性につき、判断要素として説明すべきでないことを説明し、あるいは重要視すべきでないことを不当に強調した不当な説明をし、②そのような説明によって結果的に手術をしない方向に家族の判断を誘導したといえるか否かについて検討する。
2 右①の点について
(一) 麻痺原因についての説明
前示のように被告病院の医師らは、亡ヒナの麻痺原因は、硬膜外膿瘍による可能性が高いが、そうであると断定はできず、血腫や癌の転移の可能性も否定できないと考え、原告末子らに対し、そのように説明しているが、そのような認識は、前記認定事実とも、血腫や癌の転移が原因である可能性の程度の点を除き、概ね合致するものである。前記のとおり、亡ヒナの麻痺原因となったものが膿瘍か血腫かの判断は、MRIによる画像診断においても非常に困難であったのであり、右癌の転移が原因である可能性については、右宮崎医師及び新井医師の判断において、その可能性は相当低かったものと認められるけれども、本件治療に際しては、亡ヒナに癌の既往があったことから右可能性を全く否定することまではできず、手術の危険性を説明する上でも癌の既往に触れる必要があったと認められ、これに加え、証拠(原告末子)によると、原告末子は、被告病院の医師らの説明は、細かいことはよく覚えていないが、膿を取る手術の判断を迫られたというのが中心的な話であったというのであり、同医師らが、原告末子らに対し、癌や血腫等の可能性をことさらに過大に説明していたとは認められず、結局、この点については、被告医師らの説明は相当なものであったと認められる。
(二) 手術の危険性についての説明
椎弓切除術の危険性については前記認定のとおりであるが、整形外科医で脊椎外科が専門の坂手医師の証言及び同人作成の鑑定書(乙六三)によれば、同医師は執刀医としての立場から、右のような危険性に加え、椎弓切除自体はそれほど難しい操作ではないが脊椎を圧迫から解放する作業は相当に神経を使うもので、さらに、脊椎レベルでの穿針除法については、逆に麻痺を強くする可能性も高いため、「禁忌」であるとしていることが認められる。
すなわち、亡ヒナに対する手術は客観的に相当危険な手術であったと認められるのであり、現に、本件治療の際には、癌による免疫力の低下、血腫であった場合の出血量の増加、心停止の危険やその対応の困難さ等の事情が存在した以上、これらを説明することは何ら不当ではなく、むしろ説明すべき事項であったと考えるべきところ、前記一5に認定した事実によれば、被告病院の医師らの説明は、亡ヒナの麻痺を回避するための緊急手術の必要性を説明するとともに、右のとおり説明してしかるべき右手術の危険性を極めて客観的に説明したものと認められるのであって、この点についての被告病院の医師らの説明も相当なものであったと認められる。
以上から、被告病院の医師らが原告末子らにした説明の内容は適切なものであったといえ、この点に関する原告らの主張は採用できない。
3 右②の点について
前記認定の説明内容からみると、被告病院の医師らは手術には消極的な意見を述べていると認められるが、説明をなすべき事項について客観的な説明をした上で、手術をするか否かについての医師としての意見を述べることも、一般には医師の裁量の範囲に属するものであり、特に本件では、前記認定のように手術にはかなりの危険が伴い、そのようなリスクを冒しても回復が不確実であったというのであるから、医師が積極的に手術を勧めなかったからといって、直ちに説明義務を尽くさなかったとはいえない。手術自体に相当の危険性が認められるような場合にまで医師が積極的に手術を勧めなければならない、というのは、結果的に手術が失敗に終わった場合を考えればいかにも不合理である。
また、前記認定の事実によれば、本件では五月八日の説明の際に原告末子らから手術をしないで欲しい旨の回答がなされ、更に翌九日にも再度の意思確認をしており、原告末子らにおいても、客観的な状況の説明と判断のための時間を十分に与えられて、塾慮の上回答しているのであるから、医師らの判断を一方的に押しつけたなどとは到底認められない。
4 麻酔科医が主導的に説明をしたとの主張について
本件において、麻酔科医である倉迫医師や香曽我部医師が説明のイニシアチブを取っていたかは必ずしも明らかではないが、もし、そうであったとしても、説明義務の問題として重要なのは内容的にどのような説明がなされたか、という点であって、この点については、前示のとおり、適切な説明がなされていると認められる。
特に、本件の場合、麻酔科医である倉迫医師が亡ヒナの主治医であったのであるから、同医師やその上司である香曽我部医師が説明のイニシアチブを取るのはむしろ当然であるともいえ、しかも、手術をするのであれば執刀医になる時岡医師も交えた説明もしているのであるから、説明の主体に関しても十分配慮がされていたと認められ、この点に関する原告らの主張は採用できない。
5 患者本人である亡ヒナに説明がなされていない点について
証拠(原告末子)によれば、五月八日、亡ヒナの容態の急変を聞いて原告末子らが被告病院に駆け付けて亡ヒナを見舞ったが、そのころ亡ヒナは意識もうろうとしており、手術をするかどうかの判断を迫られた時点でとても手術の話ができるような状態ではなかったことが認められ、そもそも亡ヒナ本人に手術の内容、危険性等の説明をして同意を得ることが可能な状況ではなかったと認められることや、前記一5(三)のとおり、亡ヒナには同人が癌であるとの告知がなされておらず、原告末子ら家族からも亡ヒナには癌である事実を伝えたくないとの考えであったのであって、そのような場合にまで本人に説明をしなければならない義務が被告病院の医師らに課せられていたものとは認められず、この点に関する原告らの主張も採用できない。
四 まとめ
以上のとおり、被告病院の医師らに本件治療につき過失があったとも説明義務の不履行があったとも認められない。
第四 結語
以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小野木等 裁判官村田斉志 裁判官畑口泰成)